プロフィール


「私は、アダルトチルドレン(AC)かもしれない。アダルトチルドレンって、治るものなんだろうか…」
「いつも人にどう思われているのか、気になって苦しい」
「今の生活はそこそこ幸せだけど、本音では全然満足していない」

そんな、様々な不安や悩みを抱えて、このページを開いてくださったあなたへ。

はじめまして、アダルトチルドレン専門 無敵の自己肯定感をはぐくむ心理カウンセラー AYAと申します。

私は今、海外に居住し、オンラインカウンセラーとして活動しています。

うまくいかないことや落ち込むこともいっぱいですが、
「海外で子育てをする」という幼い頃からの夢を叶え、大好きなカウンセリングの仕事をしながら、日々奮闘しています。

そんな私も、数年前は、ずっとこの先も変わらない未来をぼんやりと見つめてはため息をつき、下記のようなことを繰り返し悩んできました。

そんな悩みを克服し、夢に向かって突き進むことが出来るようになった方法をお伝えするカウンセリングをしています。

ここでは、カウンセラーAYAとはどんな人物か?

幼少のころからつづっておりますので、お読み頂けたら嬉しいです。

私は、両親と兄、弟に挟まれて育ちました。男兄弟なので家では割と気が強いですが、外に出るとおとなしい、ちょっと内気な女の子でした。

私はお母さんっ子でした。明るくて太陽のような、母が大好きでした。

父は、私が生まれた頃から既に、仕事で国内外を飛び回っていました。いろいろな国から絵葉書を送ってくれたり、珍しい外国のお土産を買ってきたり。海外に対する憧れは、このころに芽生えました。私は優しくおおらかな父のことも、大好きでした。

しかし、家庭を顧みず仕事に邁進する父に、母はいつも怒っていました。

「どうして仕事ばかりなの」「もっと家族を顧みて」

父が家にいると、必ず母は怒っていました。私は大好きな母が怒ったり、泣いたり、辛そうにしているのが耐えられませんでした。

「お母さん、怒らないで、泣かないで。お母さんにはいつも笑っていてほしいよ…」
ずっと続く怒鳴り声に、何度聞き耳を立て、涙したかわかりません。

父は、母に対してひたすら沈黙し、謝るだけ。
母はますますエスカレートして、不満や怒りをぶつけ、父は貝のように沈黙…。

「どうしてお父さんは何も言い返さないんだろう?」
「どうしてお母さんはこれだけ言っても無駄だって思わないんだろう?」

と、どうすることもできない自分に苦しむ日々が続きました。

大好きな母は、父のことで苦労している。一人で私たち3人を抱えて、いつも大変そうだ。

私はだんだん、いつでも母が元気かどうか、幸せなのか、とても気にするようになりました。

「私のせいで、お母さんはもっと大変で苦労している。
私たちがいなかったら、お母さんはもう少し幸せだったのかもしれない…」
と思っていました。

周りに合せてばかりだった10代

思春期に入り、家庭で自分の存在に虚しさを抱えていた私は、学校でもどこにいても、

「AYAちゃんも、ここにいていいんだよ」

と許可されないと安心できず、人間関係づくりに苦労しました。

「私なんて本当はここにいちゃいけないんじゃないか」
「私、みんなにどう思われているんだろう」

という些細なことが気になってしかたありません。

表面上では必死で人に合わせて、友達に誘われれば断ることもできませんでした。
誰かと一緒に笑っていても、本当は、一人で本を読んでいたいという本音を、必死で隠していました。

いつも人に合わせて、合わせても合わせてもキリがなくて、苦しい。
家にいても息が詰まる。勉強にも打ち込めない。
「私の居場所はここじゃない」
と感じ、学校が全く面白くない。
自分の居場所は、図書館や本の中にしか、ないような気がしていました。

夢に挫折し、自分を責め続けた20代

そんな私は、「海外で働く」という夢を叶え、大学卒業後に客室乗務員として働くことになりました。

ところがふたを開けてみると、スピードや臨機応変さ、マルチタスクが求められる仕事に、まるで向いていなかったのです。そのうえ、パワハラ上司からも目を付けられてしまいました。

理不尽な叱責を受け、同期達は庇ってくれたり、心の中で
「なぜそんなことまで言われなければいけないの?」
と疑問や反感を感じていても、
「私が仕事ができないのがいけないんだ」
と思い込もうとしていました。
必死で仕事に取り組みましたが、そんな状態は1年と持たず、自主退職しました。

夢だった仕事に、挫折。
自己肯定感が粉々になっている中、必死で次に夢を叶える道を探しました。

「でも、海外で仕事をしたいなら、大好きな彼や、一緒に暮らしいている母と、離れ離れになる。そんなことはできない…。どうしたらいいの?私は何がしたいの?どうしたら、充実して幸せだ、と満足できるの?

社会の厳しさや、夢を叶える難しさに気づいた私は、自分を見失い、どんどんパワーを失っていきました。

「彼と結婚したいけど、できない…」

この頃、両親に大きな変化が起こりました。

父が、突然早期退職を決め、母に対して

「離婚はしないけど、もう一緒に暮らせない」「本当はずっと我慢していた」

と言い捨て、一人で故郷に帰ってしまったのです。

あまりに突然の出来事に、母は自分を激しく責めました。
父と話し合おうにも、拒絶される日々。わずかの期間で、母は乳がんまで発症してしまいました。

私自身は、結婚適齢期と言われる年頃。周りは結婚ラッシュでしたが、私はこの状況で、

「彼のことは大好きだけど、こんな不幸な結婚をした両親を見て、傷ついた母を一人残し、自分だけが彼と結婚して幸せになれるなんて、絶対にできない

と思いこんでいました。

母を守らなければ、という重圧。
私には価値がない、という自責。

ネガティブな感情に囚われ、すんなりと結婚していく友人たちが、不思議で、羨ましくてたまりませんでした。

本当は私も結婚して、彼と幸せになりたい。
だけど、こんな私は、結婚して幸せになんてなれるわけがない。夢なんて叶わない。

八方ふさがりの日々でした。

同棲に失敗し、精神不安定に

そんな私を見て、自分から結婚しようとこそ言わないものの、彼が

「この先のことを考えるために、うまくいくかどうか、同棲してみよう」

と提案してくれました。もしうまくいかなかったら…という不安はありましたが、立ち止まっていても何も変わらないと、思い切って同棲生活に踏み切りました。

順調だった日々もつかの間。数か月して、彼が職場の激務によりうつ病を発症

数か月休職し、そのまま退職することになりました。突然のことに、頭が真っ白になりました。
「同棲は失敗したんだ…結婚はやっぱり自分には絶対に絶対に、無理だ
と、激しく落ち込みました。

彼はその後、一念発起して転職したものの、新しい職場は前職に輪をかけて激務でした。
必死で仕事に取り組み、プライベートも皆無の日々でした。

当時は彼のそんな状況や心境もわからず、いきなり一切連絡がこなくなった私は、もう別れるしかない…!!と思いつめて絶望し、ものすごく気持ちが不安定になりました。

「彼に愛されてない私にはなんの価値もない」
と自分を否定して過ごしました。

四六時中、彼のことを考えて、連絡がこないスマホを1分ごとにチェックして、落ち込んでいました。

幸いなことに、半年ほどでその状況は落ち着きました。
彼は持ち前の精神力の強さで、すっかり元気と自信を取り戻しました。
やっと前のように会えるようになり、私には彼が必要だ、とひしひしと実感しました。

それでも、結婚して幸せになれるかは、まったく自信が持てません

状況は前と何も変わらず、時間だけが過ぎていきました。

東日本大震災をきっかけに、踏み切った結婚

そんなある日、平穏な日々が断ち切られるような大きな出来事が起こりました。

東日本大震災です。

震災発生から、数時間後にやっと彼と連絡が取れ、無事を確認できた時、テレビで繰り返し流れる津波の様子や、被災地や原発事故のニュースを見ているうちに、自然と心が決まりました。

生まれて初めて、自分で決めた「幸せ」に手を伸ばした瞬間です。

結婚しても、悩みが絶えなかった30代

結婚後は、幸せで穏やかな生活が続きました。二人の子どもに恵まれ、ようやく幸せを見出したと思いました。
しかし、その反面、確かに子ども達は可愛いのですが…

私は、良い関係作りのためには、自分が頑張らなければと思いすぎていました。

夫の機嫌に必要以上に左右されたり、それに疲れて、
夫がもっとこうだったら
と自分ではなくいつも夫や環境など、自分の外に問題があると思い込んで世界を見ていました。

そして、
「言いたいことはあるけど、両親のように不仲になりたくない。私が我慢して、黙っている方が絶対によい」
「本音を伝えても、相手はどうせ変わらない」

という、強い思い込みを持っていました。

そんな私は、表面上は幸せに見えても、
「私が求めていた結婚生活は、本当にこれだったの…?」
と思っていました。

父の死と裏切りから学んだこと

そんなある日、郷里で父が急逝したと報せを受けました。

駆けつけると、衝撃の事実が待ち受けていました。
戸籍上も認知された、隠し子が発覚したのです。また、仕事関係者などを相手に、複数の不倫をしていたこともわかりました。

あまりの衝撃に、言葉を失いました。

そして、あんなにも私が両親の不仲に悩んで、「父さえ変わってくれたら…」と思い込んでいたことも、変わるはずがなかったのだ、と、初めて理解しました。

そしてまた、両親の「越えられないと思っていた壁」が、ガラガラと音をたてて崩れ落ちました。
父も母も、弱さや愚かさを抱えた、ただの人間だったんだ。私と何も変わらないんだ。
私は私、この二人とは、まったく別個の人間で、夫も唯一無二の存在。

なにかが吹っ切れた瞬間でした。

新たな夢を見つけた40代

ちょうど同じころ、夫の海外転職が決まりました。「いつか海外で子育てをしたい」という夢が叶ったのです。

激動の転換期に、私は自分を振り返ってみました。

なぜ、突然今になって夢が叶ったのか?
それは、父の死によって、長年抱えていた
「幸せな結婚とはなにか」「自分はどうありたいか」
という自分なりの答えを見つけたからではないかと思います。

それなら、せっかく叶えた夢をもっと膨らませて、活かして、他の人のために役立てたい。過去の私のように、苦しんでいる人を助けたい。

大好きな母に向かって、お願い!!幸せになって!!とずっと叫び続けていた、幼い私の泣き顔を、笑顔にしたい。
そんな思いが浮かんできて、胸が熱くなりました。

私にとって幸せな結婚とは、

もちろん落ち込んだり、泣いたり怒ったり、失敗もたくさんするけれど、根底では自分を信じている女性、一瞬一瞬を豊かに感じられる女性は、とても魅力的です。

そして、自分自身を尊重し、すべてを愛せる愛しい存在として、まるごと受け入れられる
だからこそ、相手に対して、同じようにできる・・・。

それが、私にとっての理想のパートナーシップです。

そんな風に生きていきたい。
同じような悩みを抱えている女性達を、心から応援したい。
そんな夢を持つようになりました。

でも、どうやって…?

きっかけはブログ。人生初めてのカウンセリング

この頃、自分の半生を振り返り、「アダルトチルドレン」のことを知った私は、
「自分もそうかもしれない。治す方法はあるのだろうか」
とネットで調べるうちに、一人の女性カウンセラーを見つけました。

たまたま開いた彼女のブログを読んだとき、
「この人なら、私を変えてくれるかもしれない」
という直感を信じて、思い切ってカウンセリングを申し込んでみました。

誰にも話したことのない悩みを打ち明けるのは、強い不安がありました。
また、「こんなことにお金や時間をかけていいのか?」という心理ブロックや、「カウンセリングなんて大げさなのでは…」「私が受けるなんて…」という恥ずかしさもありました。

しかし、カウンセラーの先生は、すべてを受け止め、寄り添ってくれました。

そして、私のすべてを、そのままでいいよ、とまるごと肯定できたときに、
涙があふれて止まらなくなりました。
ネガティブな自分に向き合う度に、その奥にある、あふれる愛に気づきました。

カウンセラーさんには、今でも心から感謝しています。
そしてそれ以上に、
「もしあの時、カウンセリングを受けると決められなかったら…」
と思うと、恐怖すら感じます。

そのくらい、自分でも驚きのスピードで、私は「根拠のない自信」をはぐくむことができました。

心理カウンセラーとしてデビュー

「根拠のない自信」は、私の中で、
「無敵の自己肯定感」
という言葉に育っていきました。

無敵の自己肯定感とは、
ダメなところも弱さも全部、さらけ出していい。私は私らしく、ここにいるだけでいい」
自分に対して心からそう思えている状態です。
(もう少し詳しく知りたいという方は、こちらのページをご参照ください)

どうしたら、クライアントさんの全てを包み込み、心の悩みに寄り添えるのか。
どうしたら「無敵の自己肯定感」の育み方を、導くことができるのか。
その答えを探すため、心理学やカウンセリング、コーチングなどの講座を受け、ついに私はカウンセラーとしてデビューしました。

そして、たくさんのクライアント様との出会いに恵まれ、お一人お一人の「無敵の自己肯定感」を見守り、感動と学びをいただきながら、カウンセリングを重ねています。

私の「無敵の自己肯定感」の源

夫と日々、いろいろな話をする中で、とても嬉しかった言葉があります。

「人は一人では生きられない。だから、結婚相手や人間関係の全てで、相手を敬い、思いやり、相手からも同じように尊重される自分で在りたい。そう生きることが幸せだと思う」

私はそんな夫と結婚できて、とても幸せに思います。
もちろん、不満に思うことやイライラをぶつけてしまうこともしょっちゅうあります。
でも、ずっと夢に見ていた、「幸せな結婚生活を送っている自分」の現実を、今の私は生きています。

そして、大好きな夫にも、私がなんだか楽しそうにやりたい放題で生きているから、自分も自分らしく、と、共に前を向いて、一緒に歩んでいきたい。

その想いが、私の尽きることなく湧き出る、「悩んでいる人をサポートしたい」というパワーの源です。

幸せな未来へ歩き出すあなたをサポートします

そんな悩みを抱えながら、日々を一生懸命に生きて、この記事を最後までお読みくださったあなたへ。

「私にはできないかも…」
はじめてのチャレンジには、不安を持つのは当たり前です。

あなたの隣で、最初の一歩を、全力でサポートします。
なりたい自分に向かって、一緒に歩いていきましょう。

大丈夫、是非扉をノックしてみてくださいね。

あなたを応援してくれる、幼い頃のあなたが、そこにいます。

あなたは、その子にどんな言葉をかけてあげたいですか?